コロナ禍

先日、姪の長女が、次女の身体に誤って熱いコーヒーをかけてしまい、
妹と、私の母は慌てて次女の身体に冷水を流し、その後病院へ行きました。

その後、「お母さんが熱いコーヒーを出していなければ・・・」
と後悔していたので、
「目の前に熱いコーヒーが来るシチュエーションって、どこにでもありうることだから、それよりも長女に、今回の失敗で、熱いものは持たないように学ばせることが大事だと思うよ」
という話をしていました。
「でも、とりかえしのつく失敗と、つかない失敗があるから」
確かにざっくりと、大きく分けるとそういう感じになるのだけど、

ふと思った。

取り返しのつく失敗なんかあるんだろうか。

私が今まで経験した失敗の数々は、何一つ取り返しがついたと思ったことはない。
この世に生きている限り、前に進むしかないからだと思う。
誰一人として、時間を巻き戻すことなんか、出来やしないのだから。

だから、今出来ることを常に100%でやると決めている。
そうすれば、決して失敗したとしても、後悔にはならない。
だって、やりたいことに全力で挑戦した結果なのだから。

今回のコロナについても同じことが言えそうです。

暖かくなれば、ウイルスの力が弱まるのではないかと、一部の人は期待をしていたようですが、
実際には年中暖かいマレーシアや、日本が冬の間夏だった北半球のNZとAUSでもウイルスが増加したように、
やはり、未だコロナウイルスの感染力というのは衰えを示していない。
このまま夏を超えれば、再びウイルスが蔓延する季節、冬がやってくる。

この現状で、「コロナウイルスが消えた頃には・・・」という仮説を持ち出すのもどうかと思うが、
たとえば、数年後にコロナウイルスがない世界になったとして、
私たちがコロナウイルス前の生活に戻れるのだろうか。
まず、それはあり得ないと思う。

一度割れた花瓶を、どれだけ接着剤で戻したところで、
それは「一度割れた花瓶」であって、新品の花瓶とは呼ばない。

生まれたばかりの子供がピュアなのは、失敗をしていないからだ。
心に何らかのダメージが加われば、無垢純粋だった心に傷が出来る。
それが、経験を積むということだろう。

私たちは今、ウイルスという目に見えない敵と共存する難しさを学んでいる。
幸い、私たちがこの敵と出逢うまでに、世界的にテクノロジーは大きな成長を遂げていた。
スペイン風邪が猛威を振るった、あの時代とは違う。

だからこそ、世界を元に戻すのではなく、進化すべきだと思う。

既に、イギリスではオフィスを取り壊す会社が出てきている。
在宅勤務になり・・・
2時間の通勤がなくなった。
家族との時間が増えた。
仕事の合間に簡単なエクササイズが出来る。
健康的な食事を作る時間が出来る

など、
ここ数年で私たちが奪われていた人間らしい幸せを、取り戻しているように感じる。
#シティー離れ により、深刻化しつつある田舎の過疎化も軽減されるだろう。

もちろん、コロナ禍、オンライン化による、3次元での人と人との触れ合いは、
ますます減るわけで、100%良い事だけではなく、これによる問題も出てくることは予測される。

人生は選択の連続だが、どんな選択肢ですら、
Aへ行っても、Bへ行っても、問題が起きない道はないと私は考えている。

自分が選んだ道の問題を解決しながら前進していくのが人生。

ところで、最近気づいたことですが、
日本とアメリカでZOOMを使ってオンラインレッスンをしていますが、
日本の生徒さんとオンラインレッスンする時よりもラグがないのです。
5Gが影響している?

天候によって、また、ユーザーの数によってはサーバーが重たくなったりして、
まだ快適なオンラインライフにはなっていませんが、
コロナが終息したとしても、オンライン化は残ると踏んでいます。