もしサピちゃんが他の人に懐いてどこかへ行ってしまたらどうする?
「ちかならどうする?大切な人が、他の人にとられたら。例えば、もしサピちゃんが他の人に懐いてどこかへ行ってしまたらどうする?(犬ですが笑)」
という問い。
最初は、なんで?何が起きたの?という事実確認
【迷い・戸惑い】
↓
その後、相手への嫉妬
【怒り・悲しみ】
↓
そして、自分自身に何か悪いところが無かったのか、考える
【自問自答・振り返り】
↓
サピちゃんが騙されていないか、という心配
【不安・恐怖】
↓
その人に、必ずサピちゃんを幸せにすると約束してもらう
【自己解決】
つまり、最終は、サピちゃんの幸せを願う。
サピちゃんが幸せであれば、私は満足なのだ。
私が、幸せにしたかった、
けど「目的は彼女が幸せである」こと。なのだから、
「彼女が幸せである」
という目的が果たせるのであれば、
その過程が自分である必要は必ずしもない。
そして、私は私で、自分で幸せになると思う。
なぜなら
「私の幸せ」は「私が保障している」からだ。
悲しさはあっても、他人の心を縛ることは誰にもできない。
「仕方がない」
という一言になる。
そう、アメリカの神学者、ラインホールド・ニーバーの祈りそのものである。
God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
この言葉と出逢って20年が経つ。今でも、毎度、ニーバーの祈りが最後に出てくる。
(ちなみに、上記は祈りの一部である。)
それほど、この言葉の意味は深いのだと、実感させられる。