K-popダンスとは?

K-Popダンスとは、K-Pop(Korean popular music)の音楽で踊られるダンス全般のことを言います。なので、振付けに使われているステップや技に関してはヒップホップやジャズが土台となったストリートジャズであることが多く、例えコンテンポラリーやボーグ、パンキングなどの要素が入ったとしても、K-popの音楽で踊っていればK-popと呼ばれます。

ヒップホップ(hiphop)とは?

ヒップホップ発祥の地は、アメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区です。

ブロンクス区は、ドラッグにおぼれる人やギャングが多い地区であり、古いボロボロの建物が並んでいました。

■BLOCK PARTY(ブロックパーティー)

当時、世界ではディスコが大ムーブでしたが、アフリカ系、アメリカ人の若者達は、ディスコに遊びに行くお金がなく、彼らは公園に集まりパーティーをするようになります。家から運んできたターン・テーブル(レコード・プレーヤー)を街灯のコンセントに差し込み、グラフティー・アーティストは建物や列車に絵を描き、MC (Master of Ceremonies 、 つまり司会者、イベントの盛り上げ役) という役割の人物が、即興でトークを行ったりしていました。これをBLOCK PARTY(ブロックパーティー)と呼びました。

■創始者:DJクール・ハーク(Kool Herc)

1973年8月11日、ジャマイカ出身のDJクール・ハークが、開催したBLOCK PARTY(ブロックパーティー)はファンクやソウルといったブラックミュージックを爆音で流しました。このパーティーは地元で一躍人気となり、クールハークはその後もたびたびブロックパーティーを開くようになります。そして、このパーティーに影響を受けたDJが、似たようなパーティーを開き、この音楽スタイルはどんどん広がって行きました。

その音楽スタイルとは?
1:ブレイクビーツ

クールハークは曲の間奏部分(ブレイク)を2枚のターンテーブルを用いて永遠にループさせるブレイクビーツという手法を生み出しました。参加者はこうしたブレイクビーツで踊るようになり、これをブレイクダンスとよびました。

2:ラップ

さらに、クールハークは自分がDJをしている間、友だちのコーク・ラ・ロック(Coke La Rock)に横でマイクを持って盛り上げてくれと頼むようになり、これがラップの起源となりました。

ヒップホップの誕生
■名付けた人物:アフリカン・バンバータ

伝説のDJアフリカン・バンバータが、DJ / ブレイクダンス/ ラップ / グラフィティ」の4大要素を整理し、「ヒップホップ」と名付けました。

現在のダンスシーン

つまり、もともとヒップホップというと、ブレイクダンスのことでしたが、現在のダンスシーンでは、ヒップホップと呼ばれているダンスは、立ち踊りであるヒップホップダンスを指す事が多く、ブレイクダンスはブレイク、ブレイキン、ビーボーイング等と呼ばれる事が多くなりました。
<ヒップホップのダンス=立ち踊り>と言う認知になった理由の一つは、ミュージックビデオで次々と紹介されるブレイクダンスでない、新しく生まれる立ち踊りダンス(ステップ)の流行が浸透したことだと考えられています。

オールドスクール期

ヒップホップがパーティーの現場から音楽レコード作品としてリリースされていく時代が到来します。
この転機を作ったのは、ブロックパーティーの盛り上がりに目をつけたシルヴィア・ロビンソンというレーベル経営者です。
自身のレーベル(シュガーヒル・レコード)から1979年にシュガーヒル・ギャングをデビューさせます。


初のヒップホップ・レコードとされるシュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight」が大ヒット。
そのヒットをみたラッパーたちが次々とレコードをリリースするようになったのです。

ニュースクール期

1989年頃から始まったヒップホップ第二世代の活躍は、ニュースクールと呼ばれました。オールドスクールとの違いは、ネイティブ・タン(Native Tongues)というトライブを結成し、これまでのハードコア・ヒップホップと呼ばれるようなタフなヒップホップとはやや距離を置いた、明るいヒップホップを生み出した点です。中心核となっていたのが、A Tribe Called Quest, Jungle Brothers, De La SOULの3つのクルーです。

ヒップホップ レッスン風景

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